晴れていても曇天を思わせるような、白っぽい空じゃあなくて。
霞がかかってるような菫色の、青いお空はぴっかぴか。
降りそそぐ陽光が そりゃあそりゃあ目映いからで、
木洩れ陽の落とす陰も、日に日にずんと濃くなって来た。
それをゆらゆら揺らす風は東や南から吹いており、
「うや?」
そおっとそっと撫でられたのが くすぐったくてか、
小さなお鼻の可愛らしい輪郭、
小さな拳で惜しげもなくの、
ぐいと潰してしまった坊やが見やった先では、
「…わあ♪」
風の流れへ浮かんで次々に、陽だまりの方へとやって来たものがある。
どこか近くで咲いてたものか、淡い緋色の花びらがたくさん。
「しゃくや…。」
小さな小さな精霊の幼子、天狐の坊やが、
回り切らない口で、それでも言の葉に乗せたお花の名前。
この国では“花の王”とまで呼ばれつつ、
なのに観る人もなく散るのは癪だったらしい野辺の桜が。
せめて散るときくらいはと、坊やへご挨拶に来てくれたよう。
ひらひら・ちろちろ、震えるように舞うように、
すんなりとは降り落ちず、はらはらと踊っている様なのが。
何かお芝居の効果のような。
いやいや向こうがこれを真似たのだけれど、
それほどのどこか現実ばなれした光景が。
明るい木立ちの中、音もなくの繰り広げられており。
「きゃ〜いvv」
きゅうと高々、頭の後ろへ引っつめに束ねられたその手前、
顔の方へと余って降ろされた、
甘栗色の前髪の間から覗いてる、
ふわふかなお耳がひくくと震えて。
小さないたずら心が つと沸いた。
空間をゆるく埋めつつある桜の花びらたちの中、
ぴょいと飛び込んだ坊や、そのまま小さな身を浸す。
風のそよぎに押されるものか、
触れずに逃げるものもあり。
目の先鼻先、ひよひよと躍るのへ、
えいと もみじのような小さな手のひらが伸びる。
最初は片手、でもこれが難しく。
ならばと、虫でも捕まえる要領で、
左右からパチンと叩いてみるが、それでもなかなか捕まらぬ。
「えいっ、えいっvv」
小さな坊やの他には誰の姿もない、
そりゃあ静かなばかりな昼下がりの森の中。
どこかで鳴いてる小鳥の声へ、
上手くいかずともそれ自体が楽しいと、
あどけなくも軽やかなはしゃぎ声が重なって。
それこそ、誰の目にの触れないことが勿体ないもののような。
いやさ、人の眸にさらすなど、
それこそ罰当たりなことくらいに神々しいもののような。
そんな和やかな野辺の庭だったのに、
「………ふや?」
あれれぇと、ふと他へと坊やの注意が逸れた。
そんなせいで勢いが緩くなったお手々の間、
意図しない仕草で合わせた手だったのに、
花びらがぱちりと捕まっていて。
「おや、やっと捕まえられたじゃないか。」
そんなお声が不意に掛かった。
見回していた茂みの端っこが、がささっと大きく揺れて、
「白蛇様のお札でようやっと、ここまで入り込むことが出来た。
此処は随分と強い結界に囲まれている森だねぇ。」
どこか横柄な口調で、そんな言いようをしつつ。
その身にまといつく木の葉や枯れ葉を、
ばさばさ手荒に払い飛ばしてるその人は、
「???」
残念ながら くうちゃんには見覚えのない大人。
だってここは おやかま様のお山、
他所の人は入って来ない。
時たま、迷子になっちゃった子供とかがいるの、
セナと二人でお家まで送ってくくらい。
このおじさんが口にした“けっかい”というの、
おやかま様が張ってるからなんだって。
それとそれと、
『それでなくとも鬼門の森だ。
妖異(あやかし)の出るところへ誰が好んで入ろうか。』
そんな言い方をして、くつくつと楽しそうにしておいで。
でも、このおじさんは迷子じゃあなくて、
自分から入って来たみたいだよ?
“あ……。”
いけないいけないと寸の足りない腕のばし、
ふくりと柔らかな小さいお手々で、自分の頭をすりすりする。
おやかま様のお家の人以外の前で、
お耳を出してちゃいけないの、お尻尾見せてちゃいけないの。
そう言われてたの思い出す。
でもでも ちょこっと遅かった。
「ああ、慌てなくてもいいよ。というか、咒はもう侭(まま)には使えぬ筈だ。」
「ふや?」
よほどのこと洗ってないものか、淡い茶色になった手ぬぐいで、
くつろげた懐ろから首条や胸元やらをぐいぐいと拭いつつ。
自分のことでもないのに、
何だか…そうと決まってて動かぬことのような言い方をする人で。
若いのだか年寄りなのだか、よく判らぬ風貌の彼、
随分と擦り切れた衣紋を、それでも着方は正しくまとい、
「この森には、ずんと手ごわい妖異がおると聞いたのでな。
人へと徒(あだ)なすものならば、ちぃと仕置きをしてやらんと。」
「はにゃ?」
「ああ、いや。坊主のことではないわな。」
にやり笑った不思議なおじさん。
怖がらんでいいということか、
頭を撫でようと手を延べて来たけれど、
「………っ。」
何か変だと、坊やの身が後じさる。
一見、物腰やわらかなお人だが、それは全部“嘘っこ”な気がする。
少なくとも自分のお仲間じゃあない くうの正体に気づいていながら、
だのに、こんな風に寄って来る人には用心しなさいと、
“ちゅたさんも せぇなも おやかま様も、
おとと様も くちゅばも そんなゆってたもん。”
これって…躾けに関する信頼度の順番の現れでしょうか。
随分と順位が低いぞ、葉柱さん。(おいおい)
「おやおや、嫌われちゃったかの。」
狩衣のような形ではあるが、
雑仕などが着るような無地の衣紋と、
動きやすいようにか足首から脛までを絞ってある、
俗に言う“たっつけ袴”という恰好の不思議なおじさん、
特に感情的に尖るでなし、ある意味 余裕をたたえたまま。
にんまり笑うと右手をお顔の前へともって来、
人差し指と中指をそろえて立てて見せ、
「…吽っ。」
いきなり鋭いお声での一喝をすると、
そのまま何やら、印のようなものを宙へと描き始める。
すると、
「うや?」
のどかな陽だまりの中、ふわふわひらひら舞っていた花びらたちが、
奇妙なことにはそのどれも、中空でぴたりと動きを止める。
すとんとかひらんとか、一気には落ちない、
踊るような不思議な舞い方していた花びらではあったけど、
こんな風に…何もない空中に、
その一つ一つが張りついたみたいになるなんて。
おやかま様やおとと様のかける咒ででもなけりゃ、
滅多には見られないことのよな…と。
何の説明もないままなので、ただただ呆気に取られていた坊や。
ここまではずっと、
丁寧とは言えないまでも、
穏やかな話しようでいたおじさんだったのへ釣り込まれ、
ついつい無防備でいたのだけれど。
―― それもこれも策の1つであったらしく
ひゅっ・か、と。
不意に風を切るような鋭い音が立つ。
え?と見回した視界の中、
それまでは優しい景色の中の1つだった花びらたちが、
急に風情を変えて…なんと坊やへ襲い掛かって来たではないか。
「え? …や、痛いの。痛いよぉ。」
小さくて柔らかな花びらが、
どうしてだろうか堅い刃のようなものへと変化しており、
一斉にというほどの勢いはないながら、
それでも次々に襲い掛かって来るなんてのは、
小さい子供にはとんでもない脅威。
やだやだと顔や頭を片手で覆い、もう片方の手を振り回すのへ、
「あんまり大きな怪我はさせないから安心おし。
可愛らしいのがいいとご所望なお人へは、無傷なほど高値もつくもんでね。」
捕まえる腕がいいって証明にもなるからねぇと、
くつくつ笑うこのおじさん。
どうやらいつぞやにも出会ったことのある、
見世物にする妖異を扱う“興行師”とかいうお人であるらしく。
正式な修養や勉強をしないままの自己流で、
小さな妖異を捕まえては、自分の式神にしたり、
陰力を封じて珍しい生き物として物好きな貴族へ売り捌いたり。
そういうとんでもないことを生業にしている御仁であったらしい。
それにつけても、
「それにつけてもこの森は、
よほどその筋じゃあ有名になりつつあるらしいのだな。」
さあどうやって生け捕るかと、
汗を拭くふりはやはり擬態だったか、
懐ろから取り出していた咒幣の束を、
身動き取れない小さな坊やへかざそうとしかかったおじさんへ。
はるか高みの頭上の方かららしき お声がかかる。
「誰だい?」
邪魔をするなら容赦はしないということか、
とうとう恐持てなお顔になって、
凄みながら肩越しに空を振り仰いだおじさんへ、
「ここを縄張りにしているもんだ。
…もっとも、人間たちの間での“領地”って意味では、
また別な奴の持ちもんらしいが。」
相当に背の高い桐の梢に、危なげなく立っている人影があり、
瑣末ながらも笑える話だと言いたいか、
くくくっと笑ったのは…誰あらん、
「あぎょんっ!」
「おう。遅うなってすまなんだな、ちび。」
レンゲの穴場、教えてやろうぞと約束しての待ち合わせ。
そんな坊やへと ちょっかい出して来ていた輩へ、
おやおやと呆れていた蛇神様。
大邪を封じに来たような口ぶりだったので、
目的ではない くうへは、
言いくるめるというやり方で誤魔化しての
やり過ごすなら、まだ見逃したもの。
「そんな小さい子供へ何ともいやらしい咒を使いおる。」
いっそ“ばっさ”と一気に捕まえたほうがまだマシと、
鋭角な目元を眇めて見せて、
厚手の道着をまとっていても、ようようそれと判るほど、
重厚で雄々しい肢体なのにもかかわらず、
物音ひとつ立てずに飛び降りて来た、異世界の大妖。
素人とはいえ、多少なりともその筋の者、
咒やら封印やら、
接する機会も多ければこそ、何かしら感じるものか。
うっと怯んで見せたが、だがだが、
「おっと、こっちへ手ぇ出すと。」
素早く駆け出し、
花びらの陣に取り巻かれていた幼子を捕まえる。
「この子がどうなっても知らないよ。」
「この子ってのはどの子のことだ。」
「………え?」
言われて自分の手元を覗けば、
そこには…つぶらな瞳の鹿の仔がおり。
ただし、もう立派な角が生えており、
その切っ先が銀色に光っているのが いかにもよく切れそうで。
「ひえっ!」
あわわと放り出してのそれから、
周囲を見回し、あたふたしだす。
「? どしたのかな?」
「さてなぁ。」
あの枯れたツゲの株が、
おっかない化けもんにでも見えたんじゃね?
小さな坊やをふわんと浮かせて手元まで招き寄せ、
それと入れ替えたのが小さめの枯れ枝の株。
相手にはどう見えていたやら、そこまでは知らないと、
空とぼけた阿含さんであり。
“本来なら、もちっと遊んでやるところだが。”
チビさんとの散歩が先だからと、今日のところは軽いめのお仕置き。
適当な幻覚に追われ、森から外へ逃げ出すように暗示をかけて、さて。
「じゃあレンゲを摘みに行くか?」
「うんっvv」
あぎょんは知ってゆ? レンゲはね、お花の下に みちゅがあんのよ?
へえ、凄いこと知ってんだな、坊主。
何とも ほのぼのとしたやり取りを交わしつつ、
青々とした下生えを踏み分けて、
懐ろへ小さな坊やを軽々抱えた大きな背中が、
のんびり遠くへ去ってゆく。
―― ああ、春が本格的に来ましたねぇ。
〜Fine〜 09.04.11.
*今では一番メジャーな“ソメイヨシノ”は、
確か江戸時代ほども時代が下がってから世に出た品種で、
花屋さんというか植木屋さんというか、
職人さんが掛け合わせた最初の親木が生まれたのが、
そのくらいになってからだと聞いたことがあります。
で、元禄のころの繁盛ぶりに比すれば逼迫していた世の中を、
何とか景気よくしようとする大々的な改革の中で、
あの八代将軍・吉宗が江戸のあちこち、
お堀や池の周りや隅田川沿い、
上野の千鳥が縁や不忍池から、向島にまでガンガン植えさせたのが、
今の東京のあちこちの桜の名所の始まりでもあるそうな。
*なんてな雑学で誤魔化してみましたが。
どうやらウチのサイトでは、
阿含さんは“春を告げる使者”であるらしいです。
………う〜〜ん
めーるふぉーむvv 

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